高知県で生まれた坂本竜馬は、黒船の来航以降、日本を外国の脅威から守るべく幕府中心の政治体制から
欧米の議会制を取り入れた国家とすべく東奔西走し、新国家の方針を立案、
これから国の改革に臨もうとする矢先に非業の死を遂げた幕末の志士ですが、一時期幕臣の
勝海舟と共に神戸に来ていたことがあります。
勝海舟はアメリカに船(咸臨丸)で渡った経験もあり、島国である日本も
諸外国と同様海軍を持つことを説き、幕府の承認を得て神戸に海軍操練所を設立しました。
それが1863年(文久3年)といわれています。同時に勝は神戸で海軍塾も開きましたが
その時の塾頭を勤めたのが坂本竜馬でした。
ところが、塾生の中で反幕府勢力に加担する者が出た責任を問われ、
勝は職を解かれると共に、神戸海軍操練所自体も設立から僅か2年足らずで閉鎖の憂き目にあいます。
しかし、その勝の思いを引き継いだ竜馬は長崎で私設海軍兼貿易会社として
亀山社中(のちの海援隊)を創設することになります。
海援隊結成の思いは、神戸から始まったんですねえ。
神戸は江戸の末期、日米修好通商条約により、開港(その他の港:神奈川、長崎、函館、新潟)した港の1つです。
貿易が盛んになるにつれ、港周辺には多くの外国人が住むようになり、今の元町の辺りに居留地が出来ました。
現在はオフィス街となっておりますが、外観を残した建物も多くその当時の佇まいを色濃く残しています。
その神戸で大正12年(1923年)4月に、日本で初めて宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎率いる
プロのジャズバンドによる演奏が行われました。太平洋戦争に入るとジャズ音楽は禁令の対象となり、
公の場所で演奏されることがなくなりますが、戦後は開放され大衆に親しまれる音楽となっていきました。
ジャズの発祥地といわれる神戸は、今多くのジャズ喫茶やジャズバーが営まれ、街を彩っています。